木曜日, 12月 24, 2009

中判デジタルのバリエーション

 

H3Dのもやもや曇がとれない、専用のボディーとは使い易いもので、ロケで持ち出しても何も問題がない。それでいて3900万画素という解像度はどのようにトリミングもできるため、リスクヘッジという点からはありがたい。
そのおかけでデータが大きくなりすぎる問題もかかえながら、メイン機がH3Dになっているものの心配の種は予備ボディーがないこと。
今回も結露からの曇かとクリーニングに送ると、IRフィルターとCCDの間で曇ができているのであれば、本国修理との回答、約一ヶ月、これは仕事で使っていると致命的なトラブルだ。幸いにもIRフィルター表面の曇であったため数日のクリーニングで戻って来るらしいが考えなければならない状況だ。
35mmであれば価格もさることながら、どれでもほぼ一緒のあがりをするため、予備機も同一機種で良いと思える。しかし、中判のデジタルは機種によってあがりも、使い勝手も大きく違う。
ハッセルブラッドH3Dは、高解像でコントラストも柔らかく、一般的な使用で何も考えなくていい。ある程度はAFだって使用できるレベルでイザという時には使える。AEに至っては心配なく使用できる。ただプリセットのホワイトレベルはかなりアバウトで絶対にグレーをとったうえでないと使い物にはならない。
これに対して、FUJI GX680に取り付けている、Sinar 54Mは、かなりとんだった特性で、素晴らしいヌケをするハイライトに比較して、黒のノイズはあまり綺麗ではない。ヘタをすると、グレーをとっても、黒が赤方向にころんだりする。きちんとわかってライティングをすれば素晴らしいあがりをしてくれるのだが、手抜きは許されない。操作性に至っては、PCと接続しないと電源供給もできない仕組みのため、スタジオでの使用以外に考えようがない。GX680のあおりを使いたくて、建物の撮影に持ち出したこともあるが、4×5以下の操作性にへきへきとしたものだ。
まだまだ、中判のデジタルは過渡期なのか、平均というものがなく、ハードの特性に合わせて使い分ける必要がある。となると、予備機以上に使い勝手、上がりの特性に合わせてバリエーションが欲しくなってしまうのだ。
代わりができないことはツライが、同じ、ハッセルのHシリーズを使用した、PHASE ONE P45あたりがよさそうだ。これだと、Hシリーズだけでなく、お蔵入りしている555ELDにつけてVシリーズレンズも使えるわけだし、バリエーションとしてはありがたい。ただ、Vシリーズのレンズがデジタルバックに耐えられる仕様なのかは不明だけど。

水曜日, 12月 23, 2009

デジタルカメラで負うリスク

ライティングのトレンドはあるもので、時代はめぐるものだ。


10年前はとにかく便利だとバンク全盛だった。ちょうど、Nikon D1が登場したころで、手の出る値段のデジタルカメラが登場したころだ。それまで大手印刷会社で使ってきた、KODAK DCS460cから比べると画期的に使えるカメラであり、色空間がNTSCと、ビデオからの影響さえのぞけばデジタルカメラ普通に使えるじゃないかと思うに十分な作りだった。

今になって考えれば、私にとってのバンク全盛、いわばできるだけフラットなライティングはNikon D1のコントラストがポジフィルムより圧倒気に高い。いや、ハイライトは飛びやすく、シャドーは潰れやすいというレンジの狭さを克服する方法であったようだ。できるだけ物に近づけて、バンク一灯でフラットにライティングをする。これであれば、D1でも問題なく印刷データを作成できた。外で使うと危険なくらいにレンジの狭いD1もパンクの下では正しい色を再現し、もののディテールをきちんと表現してくれた。

それまで、4×5であたりまえ、ブローニーを使うにも、4×5にアタッチメントで来たものにとって、D1は意識改革が必要な進化だった。効率化するためにデジタルを使う、まだまだパソコンのCPUパワーも不足している。ハードディスクの価格も高い。CFカードの容量も数メガしかない。なによりバッテリーの消費はベラボウで、数本のバッテリーを持ち歩かないと使い物にならない。かなり苦労をしないと使えないのに、直感的にデジタルカメラは使えると思っていた。
それは、ポジフィルムと比較して苦労をするのであり、それ以前のデジタルカメラDCS460cあたりから比べれば画期的に使えたからだ。
D1による意識改革はフォトグラファーとして生き方すら変えてしまうものだった。今まで手を加えられるのは撮影までで、現像に出して、ポジをチェックすればあとは印刷物があがってくるまでフォトグラファーの出番はない。
本来色校という段階で撮影者にも確認をして欲しいものだが、デザイナーがチェックするだけで、撮影者にまで確認をとってくれることはまずない。
撮ったら、あとは印刷会社におまかせするしかなかったのだ。
デジタルカメラのよかったこと、なにより撮影者が色まで対応できるようになったこと。それは、バンクで、フラットに仕上げなければならないという制約以上にフォトグラファーに自由を与えてくれた。
NTSCから、RGBへの変換、RGBから、印刷用CMYKへの変換、その土俵になる色空間、使いこなすにはカラープロファイルが命であり、カラーマネージメントは楽しい作業だったのだ。
2003年には、広告基準カラー(JMPA)を作るためベンダーキットを作る手伝いをさせて頂いたり、なんだかデジタルカメラは私にとってカラーマネージメントを学ぶ土俵だった。
色は撮影したフォトグラファーが管理すべきものであり、この基準をきちんと守る、色の保証をするという作業はフォトグラファーがリスクを負ってやるべき作業だと考えている。でなければなんのためのプロなんだ。カメラの進歩で写っているは当たり前なんだ。ちゃんと色を表現するためにライティングから管理、コントロールするからプロなんだよ。

土曜日, 12月 05, 2009

雨もあがったことだし

雨もあがったことだし、お前の家でも・・・・(中島みゆき「おまえの家」より)
ふっと訪ねてもみたくなった、



時はかわるよね、フィルム代を気にせずシャッターを切っている自分がいる。昔は36枚であり、ブローニーの12枚のカウントを気にしながら切ったもので、何かあったときに、2,3枚は残しておく癖なんてのもあった。Hasselblad EL/Mなんぞ使っているとあっという間に使い切るばかり。
FUJI GX680がフィルムを使った最後かも知れない。4×5なんてレンズシャッターも固まってしまってるだろうし、

でも、デジタル化は迷惑な話だ。圧倒的に撮影後の時間がかかるようになったのに撮影費用は減るばかり。今まで撮ってしまえば、あとはラボの仕事、ちゃんと写っているかドキドキはしたけど、手間ではなかった。

デジタルでは、RAWからの現像処理、媒体に合わせたレンジの切り直し、そして、DVDへの焼き込み、責任だけ重くなって費用は減る。これでは到底やっていけない。

ただ、カメラマンにも責任はある。それは、デジタルになっても正しいデータを作っていないこと。印刷会社はカメラマンから出てきたデータを信用はしていないし、自分の所の印刷機に合わせるためには色合わせのレタッチが必要だと思っている。
デジタルになって、デジタルの強みを生かさなければコストダウンはできない。カメラマンが正しい色、正しい解像度、正しいシャープネスを作りこんでこそデジタル化のメリットは生まれるし、それができなければ、アマチュアと同じだと思う。

せめて、色校正ができるモニターと、キャリブレーションくらいはできないとプロではないでしょう。

水曜日, 12月 02, 2009

分かれ道



フィルムからデジタル
スチルから、ムービー

これは大きく異なる話。優れたものが、劣ったものを駆逐する。経済性という点まで加味すれば、フィルムからデジタルへの変化はそのものだ。
味という点を除いて今フィルムで制作する意味はないと思っている。ハイエンドを求めるからこそデジタルという選択肢も当たり前だ。

これに対してスチルからムービーではなく、スチルの感性を活かしてムービーを作れば新たな表現が加わると思うし、EOS 5Dのようにフルサイズのボケを活かした絵作りは新鮮だ。

今、ムービーで仕事の幅は広がる、これはYESだし、取り組みたいとも思う。ただ諸手をあげて一眼デジカメでムービーが答えだとは思わない。

制作の全行程を知るものにとって根本的なものが欠けている一眼デジカメでムービーを作る気にならないのだ。

なにがと言って、驚くのは、タイムコードの観念がないムービー素材をプロが扱うこと。これは制作工程全体を揺るがすことであり、またしてもお手軽さがプロの生きる道を奪うようなことになると感じるのだ。

デジタル化で誰もがカメラマンになった。これは素晴らしいことで、ある面からすればクォリティーアップだとも思っている。たとえば通販でわかりやすい写真が欲しいと思ったときにカメラマンの知識より、当然その商品を売っている人のほうが商品知識を持っている。であれば、写真という技術をカメラがカバーしてくれて、より商品知識に基づいた写真が撮られるのであれば、写真のプロの出る幕はない。真のクォリティーアップだろう。

だが、印刷の特性であったり、正しいカラーマネージメントまで言い出せばプロの必要性はあるのだ。これと同じようにムービーでも外せない一線があると思っている。

それは編集という作業まで含めたタイムコードに基づいた作業だ。
ムービーの撮影、ライブであとから合わせるのであれば、絶対時間で進むフリーランによるタイムコードを付加するし、こまかに作り込むものを作るのであれば、レックランでタイムコードで撮影を始める。

ごくごく当たり前のこと。それがムービーのワークフローだし、スタートの構想、絵コンテでもある。

しかし、一眼デジカメのムービーにはタイムコードという観念がない。まるで、編集という行程に流すことを考慮していない運動会ムービー用だ。

フルHDもいいが、せめてフリーラン、レックランのタイムコードをサポートするべきだろう。しばし、私はスチルで一瞬を切り取る作業に専念しよう。

まだまだ中途半端だし、無理にできるからやるではなく、制作全体としてメリットが大きいとわかるまでは。