火曜日, 12月 27, 2011

死に様はかくあるべき



さして長生きができるほうでもないだろうし、
かといって、天才でも、才能あふれるタイプの早死でもないだろうな。

最近、葬儀写真を撮っていると人の死が当たり前の通過点に思えてしまう。
輪廻転生とか、極楽浄土とか、そんな思いはないんだけど、葬儀はきちんと自分の思いでやりたいね。

葬儀は人間関係そのもの。80の半ばを過ぎた人だと、喪主になる息子も60の定年退職を迎えていて、みれば老々介護状態。当然葬儀も静かに進行する。
これに対して、あと10年若いと、まだまだ親の葬儀は自己PRの場であったり、主催に回れる最大イベント、まあ、受付に会社関係なんて看板がでていでも、それは喪主の会社関係で、死んでしまった人とは何も関係がない。
あー、そのために、利用される親はいかなるものだろう。なんだか成仏できない生々しさ。

お寺の本堂でするのであれば、定員は50名まで、親戚でその半分、あとは厳選された人だけでいい。葬儀場でする葬儀は流れ作業でとても受け入れられないな。

広い交流より、深い交流が必要なんだね。
それが死に様を美しくすると感じています。

死に様ニュースを定期的に、
でないと、自分の死に様がわからなくなりそうで、毎日見ていると麻痺しますからね。

0 件のコメント: