月曜日, 2月 08, 2010

雛の時間 昭和85年



雛の時間がやってきた。
シャッターが閉まった商店街、今や地方の街では見慣れた光景。電気屋、八百屋、金物屋、
無理もない。大手の量販店が郊外に進出すれば価格競争で勝てるはずがない。
さらに、若者は都会に出て行くし、買い物だって都会に出た方が都合がよい。

交通機関が発達し、通信網が発達し、いよいよ街の商店街が生き残ることは苦しくなっている。

まちおこし、ちょっとでもイベントを、
商店街の集会所、閉めてしまった店舗、そこに古くからの雛人形を持ち出して雛祭りをイベントにしている。

古びた日本の赤、ちょっとわざとらしい空気が流れるが、間違いなく歴史に裏付けられた日本の美がある。
惜しむらくはそこには本物がなく、観光展示という軽さがあふれていることだろう。

木曜日, 2月 04, 2010

東京にて思うこと



ただいま東京、PAGE2010は新しい刺激でした。

話すとなるといい忘れた事が多いもので、きちんとメリットが伝わったのか後から不安に思うことが多いものです。
プレゼンテーション(禅)を読んで、いかにビジュアルでイメージを伝えるのかは勉強しましたが不安でできない自分がいます。

やはり当たり前に話すことを箇条書きしてしまいますし、メモには言うべきことが山盛り。
各ページで考えてみると、この箇条書きのなかの1/3も盛り込んではいないのですよね、

それでも2時間という時間はすぐに過ぎ去ってしまう。メガネをかけずに話しているので、最前列の方の表情しか確認はしていませんし、(メガネをかけると、自分のパソコンのモニターが見にくいという肉体的劣化がありますから)不安ばかりが残ってしまいます。

制作をとりまく状況は、新しいものは東京から伝播し、悪い影響は地方からスタートすると思っています。
だからヘタをすると、地方は新しいものが入る前に劣化していることすらあるのです。

特に仕事が薄い、単価が下がるという状況は、この法則が顕著です。量があれば影響は薄れる、量がないと、大きくパーセンテージに現れてしまう。

様々な方法論を唱えてみても作る側の環境が整備され、これまで数百万円投資しないと作れなかったものが、数万円の投資で作れるようになってはプロとしての意義はクォリティーでしかありません。
このクォリティーも、単純にいいというレベルではなく、予算を超えて画期的に良いというレベルに引き上げないと意味を持ちません。

とにかく影響力があるまで自分が大きくなるしか根本の方法はないでしょう。

次は、2/6 二人展のオープニングアクトパーテイーです。
時間は19:00スタート、GALLERY-QUAERTZで行います、(参加無料)

アクトは、二人の弟子にあたる写真家の展示です。そりゃもう、DNAというか、作家と職人というか、色がよく出た展示になりました。
是非ともご参加ください。





水曜日, 2月 03, 2010

PAGE2010 私はやはり印刷が好きなんだろうな



PAGE2010 で久しぶりに印刷の世界に浸る、
あー、やっぱり紙がいいな、紙はいじわるでいいな、ちゃんと知識がないと扱えないから印刷はいいな。

これ実感なんですよね、正しい色、正しい表現、確かに制約もあるわけで、WEBだ、モニターで表現する以上に手続きも多い。でもちがうんですよね、
今更、アナログのカメラなんて使えない、でも紙はいい、

矛盾しているようで、矛盾ではなく、デジタルになってさらに紙がいいんですよ、
なんたって、アナログだとカメラマンではコントロールできなかった色まで触ることができる。

PDF/X1aなんて私には神かも、





火曜日, 2月 02, 2010

料理もご依頼ください



直接Blogで宣伝するのは嫌なのですが、あまりにも最近のメニューであり、雑誌のグルメ記事でありをみていると、これでいいのかなという写真が多いのでサンプルを。

料理と言うとロケが多いので機材に困ります。どうも物量に頼る癖があるのです。
照明に、デフューザーに、バック紙に、・・・でも、どうしてもこだわると仕方ないんですよね、
やはりあがりに影響があるところですから譲れません。

どうでしょうか、料理なんておいしくみえないと意味がないじゃないですか。

月曜日, 2月 01, 2010

Flickr

This is a test post from flickr, a fancy photo sharing thing.

Parodies No.2 FOCUS



2001年の休刊からの復活、
FOCUS 時代を作った雑誌ですよね、当時の表紙は単色の色バックに三角に切り取った中にイメージ写真を入れたもの。
わかりにくい表現ですが、内容とはマッチングしたものではなかったわけです。

あくまでも内容は刺激的なコピーで表現、視覚よりも文字が中心の表紙、

でも、時代はデジタルカメラ、速報性が勝負になりました。よって、FOCUSの復刊は、ダイナミックな内容とリンクした表紙になるべきです。
というわけで、カリスマモデル「JUNKO」の朝帰り衝撃のスクープが表紙を、これからレイアウトに、
当然タイトルに朝青龍の事件も、小沢幹事長の話題も必要ですよね、

金曜日, 1月 29, 2010

二つのライン

2010年は二つの作品ラインで制作の望みます。
広告写真の世界は過酷な状況で、カメラの進歩は下からの追い込みを作り出し、CGの低価格化は上からの侵略になっています。
これまで多くの商品を撮影してきたレンジはすでに誰でも撮れる領域になり仕事ととしては成立しない状態です。



私は、カメラが進歩し、簡易なライティングシステムが登場して、社員で商品写真が撮れることは良いことだと思っています。残念ながらカメラマンがどれだけ勉強をしても、商品知識で売っている人にはかないません。当然商品知識が豊富なほど見せるべきところきわかっています。カメラの性能があがり、特殊技術が必要ないということであればフォトグラファーが撮るより、社員で撮影したほうがいいのです。

ただ、特定のモノ、イメージを必要とする写真はまだまだプロの領域です。無理にお手軽な写真でスペースを埋めることは売るというビジネスにおいて逆効果でもあります。
だからハイエンド=プロの仕事、印刷のように知識が必要な媒体、プロの仕事として積極的に営業していく必要があると思っています。

さらに踏み込んで言えば、マツバラのイメージで、マツバラの感性で撮って欲しいという仕事を増やすしかないと考えています。
これまで軟体動物で、どのように撮れと言われても拒否するものでも、反対するものでもなく、何にでもなりきって撮ってきました。この姿勢が代るわけではありませんが、自分らしさをきちんと活かして仕事をしたいのです。

だから、自分の特徴をきちんと出す「作品」を作るという作業は必須なのです。

昭和シリーズ、
ついに今年は、昭和が続いていれば、85年です。この20年間日本のダッチロールがなければどうなっていたのでしょう。まあ、そのまま続いてはいないと思いますが、これほどひどくはなかったでしょう。
熱、熱さ、熱気、それを画面に閉じ込めてやりたいのです。

http://s38.jp
20090531150553

Parodies
モノマネではなく、アレンジ、
いかに消化していくのか、模写ではなく、模倣ではなく、より完成形を求めて、

http://parodies.jp
20090912013641



木曜日, 1月 28, 2010

s38 二人展

いよいよ二人展も週明けからスタートです。ギャラリーは19:00から22:00という夜型運営をします。平日にだれだけ対応できるかと計算するとなかなか難しいところがあり、誰も作家がいないところに来て頂いて対応ができないのもみっともないことですから。

今回は、昭和シリーズというよりも、s38-s85という、生まれてこれまでの集大成です。フォトグラファー二人が同じ頃に同じように写真を目指して、思う部分には大きな隔たりがある。

写真が好きと答える人と、嫌いと答える人の違い
できれば趣味で好きなものを撮りたい人と、趣味では絶対に撮らないだろうという人、

同じ筋道を描いてきても、根本は正反対なのかも知れません。

どう考えても、印象では勝てない人と二人展ですから勇気がいる作業です。

http://s38.jp


CJGカタログでの問題

クリエーターが自分の技量、感性を表に出す機会が欲しい。技量、感性に対して最適な仕事が入れば嬉しいじゃないか。
これがCJGクリエーターズカタログの大元のコンセプト

http://cjg.jp

なかなか難しいですね、今回のできは15点といったところでしょうか。たぶん世に出すとするとかなり平均点を下回ってしまった気がします。もしかしたら出すことが弊害になるかもしれません。
正直どうしていいのかわからないというのが今の時点の状況。

編集という作業はしたくない。枠にはまらず自分の技量と感性を打ち出して欲しいから。自分が最も信ずるところで勝てる作品を世に問うことをして欲しい。
入札でページを買う。買ったからには負けないようにして欲しい。カタログの中で戦いがあって欲しい。

内容的には、
宣伝の方法が意識統一できていなかった。
何ができるなんて広告はプロである以上恥ずかしいことのように思います。プロであればいかに自分の感性を表に出せるか。一枚の作品とその過程を見せるなど、自分の思い、コンセプトを表に出せることが重要だと思います。
この部分で一冊の中で自分が勝つという意識の低さがあったように思います。やはり勝てるジャンルを自分で選ばないといけないのでしょう。

技量的には、
この価格で一冊を作るのは無理でした。そもそも100人、100ページはボーダーラインでしたし、その1/4では大赤字は当たり前です。ただ、その前提も、PDF/X1aで入稿し、ページに貼り込むだけで完成するというものです。
今回、PDF/X1aできちんと入稿できた人はほとんどいなかったと言ってもいいでしょう。カメラマンが一人で入稿はできない。やはりデザイナーと連携して作らないとページにはならないでしょう。フォントの扱いも、レイアウトも未熟なまま出せばマイナス効果です。

そして、色も管理されているとは言えないものでした。カメラマンが出す色は自分勝手で、自分が綺麗に見えればいいというものでした。しかし、実際の仕事では完成品で評価されます。このギャップが新しい時代に対応できていないのです。
いくらなんでもOS9時代のレガシーな仕組みでは今の時代に対応できないでしょう。

次回の方法をどのようにするのか、編集を入れるのか、それとも今のラインを貫くのか、難しいところに入り込んでしまったようです。



土曜日, 1月 16, 2010

セルフプロモーション



なかなかセルフプロモーションと言ってもやり方は難しい。

まず、誰に対して訴求するのか。YouTubeに公開してわかったことは、やはりどれだけ刺激的なタイトルをつけるか、さらに、どこに笑いを入れるかであり、作品を作品として真摯に見て頂ける環境ではないと思い知らされた。

Flickrは随分と作品に対して的確なコメントを頂ける、Facebook、Myspaceは、とかくつながりを重視するために、批判的な評価は得られない。不要に持ち上げてしまう傾向にある。

これまでいろいろな事を試し、チャレンジしてきて、即効性のある方法はないと言うことだ。
日々、作り、日々、アップし、日々、評価に耳を傾ける。Blogはあくまでも入り口であり、きちんと自分のサイトを整備することだと気づく。

より効果的なプロモーションをと、CJG(クリエーターズ・ジャパン・グループ)を深澤明さんと、土屋敏朗さんと意を共にして立ち上げたが、なかなか難しい壁に突き当たっている。
意志と、クォリティーを維持できないのだ。

プロモーションとは自分を売り込むことで、そこで負けてしまっては意味がない。勝つとは総じて取り組むのではなく、ポイントを絞って勝てるポジションを築くことだと思う。
どうも場当たりで作品を出す人が多い、目的意識が希薄、本来はBlog機能も自分の思いを書き、いかに企業広報に、広告代理店に、印刷会社に売り込むのかを綴るべきだが、そんな意識が芽生えてこない。

私は、広告としてモノが売れるよう正しく商品を伝えていきたいと思い写真をとる。それは、商品を正確に撮影する場合もあれば、商品のイメージを高めるためイメージを作り込む場合もある。
風景であっても、グラビア的モデル撮影であっても思いは同じだ。綺麗に、かつ、印象的に、それは商品を売るための道具であり、広告写真家として当たり前の取り組みだ。

技術も、感性も、モノが売れるというところにつながらなければ失敗だと思う。

木曜日, 12月 24, 2009

中判デジタルのバリエーション

 

H3Dのもやもや曇がとれない、専用のボディーとは使い易いもので、ロケで持ち出しても何も問題がない。それでいて3900万画素という解像度はどのようにトリミングもできるため、リスクヘッジという点からはありがたい。
そのおかけでデータが大きくなりすぎる問題もかかえながら、メイン機がH3Dになっているものの心配の種は予備ボディーがないこと。
今回も結露からの曇かとクリーニングに送ると、IRフィルターとCCDの間で曇ができているのであれば、本国修理との回答、約一ヶ月、これは仕事で使っていると致命的なトラブルだ。幸いにもIRフィルター表面の曇であったため数日のクリーニングで戻って来るらしいが考えなければならない状況だ。
35mmであれば価格もさることながら、どれでもほぼ一緒のあがりをするため、予備機も同一機種で良いと思える。しかし、中判のデジタルは機種によってあがりも、使い勝手も大きく違う。
ハッセルブラッドH3Dは、高解像でコントラストも柔らかく、一般的な使用で何も考えなくていい。ある程度はAFだって使用できるレベルでイザという時には使える。AEに至っては心配なく使用できる。ただプリセットのホワイトレベルはかなりアバウトで絶対にグレーをとったうえでないと使い物にはならない。
これに対して、FUJI GX680に取り付けている、Sinar 54Mは、かなりとんだった特性で、素晴らしいヌケをするハイライトに比較して、黒のノイズはあまり綺麗ではない。ヘタをすると、グレーをとっても、黒が赤方向にころんだりする。きちんとわかってライティングをすれば素晴らしいあがりをしてくれるのだが、手抜きは許されない。操作性に至っては、PCと接続しないと電源供給もできない仕組みのため、スタジオでの使用以外に考えようがない。GX680のあおりを使いたくて、建物の撮影に持ち出したこともあるが、4×5以下の操作性にへきへきとしたものだ。
まだまだ、中判のデジタルは過渡期なのか、平均というものがなく、ハードの特性に合わせて使い分ける必要がある。となると、予備機以上に使い勝手、上がりの特性に合わせてバリエーションが欲しくなってしまうのだ。
代わりができないことはツライが、同じ、ハッセルのHシリーズを使用した、PHASE ONE P45あたりがよさそうだ。これだと、Hシリーズだけでなく、お蔵入りしている555ELDにつけてVシリーズレンズも使えるわけだし、バリエーションとしてはありがたい。ただ、Vシリーズのレンズがデジタルバックに耐えられる仕様なのかは不明だけど。

水曜日, 12月 23, 2009

デジタルカメラで負うリスク

ライティングのトレンドはあるもので、時代はめぐるものだ。


10年前はとにかく便利だとバンク全盛だった。ちょうど、Nikon D1が登場したころで、手の出る値段のデジタルカメラが登場したころだ。それまで大手印刷会社で使ってきた、KODAK DCS460cから比べると画期的に使えるカメラであり、色空間がNTSCと、ビデオからの影響さえのぞけばデジタルカメラ普通に使えるじゃないかと思うに十分な作りだった。

今になって考えれば、私にとってのバンク全盛、いわばできるだけフラットなライティングはNikon D1のコントラストがポジフィルムより圧倒気に高い。いや、ハイライトは飛びやすく、シャドーは潰れやすいというレンジの狭さを克服する方法であったようだ。できるだけ物に近づけて、バンク一灯でフラットにライティングをする。これであれば、D1でも問題なく印刷データを作成できた。外で使うと危険なくらいにレンジの狭いD1もパンクの下では正しい色を再現し、もののディテールをきちんと表現してくれた。

それまで、4×5であたりまえ、ブローニーを使うにも、4×5にアタッチメントで来たものにとって、D1は意識改革が必要な進化だった。効率化するためにデジタルを使う、まだまだパソコンのCPUパワーも不足している。ハードディスクの価格も高い。CFカードの容量も数メガしかない。なによりバッテリーの消費はベラボウで、数本のバッテリーを持ち歩かないと使い物にならない。かなり苦労をしないと使えないのに、直感的にデジタルカメラは使えると思っていた。
それは、ポジフィルムと比較して苦労をするのであり、それ以前のデジタルカメラDCS460cあたりから比べれば画期的に使えたからだ。
D1による意識改革はフォトグラファーとして生き方すら変えてしまうものだった。今まで手を加えられるのは撮影までで、現像に出して、ポジをチェックすればあとは印刷物があがってくるまでフォトグラファーの出番はない。
本来色校という段階で撮影者にも確認をして欲しいものだが、デザイナーがチェックするだけで、撮影者にまで確認をとってくれることはまずない。
撮ったら、あとは印刷会社におまかせするしかなかったのだ。
デジタルカメラのよかったこと、なにより撮影者が色まで対応できるようになったこと。それは、バンクで、フラットに仕上げなければならないという制約以上にフォトグラファーに自由を与えてくれた。
NTSCから、RGBへの変換、RGBから、印刷用CMYKへの変換、その土俵になる色空間、使いこなすにはカラープロファイルが命であり、カラーマネージメントは楽しい作業だったのだ。
2003年には、広告基準カラー(JMPA)を作るためベンダーキットを作る手伝いをさせて頂いたり、なんだかデジタルカメラは私にとってカラーマネージメントを学ぶ土俵だった。
色は撮影したフォトグラファーが管理すべきものであり、この基準をきちんと守る、色の保証をするという作業はフォトグラファーがリスクを負ってやるべき作業だと考えている。でなければなんのためのプロなんだ。カメラの進歩で写っているは当たり前なんだ。ちゃんと色を表現するためにライティングから管理、コントロールするからプロなんだよ。

土曜日, 12月 05, 2009

雨もあがったことだし

雨もあがったことだし、お前の家でも・・・・(中島みゆき「おまえの家」より)
ふっと訪ねてもみたくなった、



時はかわるよね、フィルム代を気にせずシャッターを切っている自分がいる。昔は36枚であり、ブローニーの12枚のカウントを気にしながら切ったもので、何かあったときに、2,3枚は残しておく癖なんてのもあった。Hasselblad EL/Mなんぞ使っているとあっという間に使い切るばかり。
FUJI GX680がフィルムを使った最後かも知れない。4×5なんてレンズシャッターも固まってしまってるだろうし、

でも、デジタル化は迷惑な話だ。圧倒的に撮影後の時間がかかるようになったのに撮影費用は減るばかり。今まで撮ってしまえば、あとはラボの仕事、ちゃんと写っているかドキドキはしたけど、手間ではなかった。

デジタルでは、RAWからの現像処理、媒体に合わせたレンジの切り直し、そして、DVDへの焼き込み、責任だけ重くなって費用は減る。これでは到底やっていけない。

ただ、カメラマンにも責任はある。それは、デジタルになっても正しいデータを作っていないこと。印刷会社はカメラマンから出てきたデータを信用はしていないし、自分の所の印刷機に合わせるためには色合わせのレタッチが必要だと思っている。
デジタルになって、デジタルの強みを生かさなければコストダウンはできない。カメラマンが正しい色、正しい解像度、正しいシャープネスを作りこんでこそデジタル化のメリットは生まれるし、それができなければ、アマチュアと同じだと思う。

せめて、色校正ができるモニターと、キャリブレーションくらいはできないとプロではないでしょう。

水曜日, 12月 02, 2009

分かれ道



フィルムからデジタル
スチルから、ムービー

これは大きく異なる話。優れたものが、劣ったものを駆逐する。経済性という点まで加味すれば、フィルムからデジタルへの変化はそのものだ。
味という点を除いて今フィルムで制作する意味はないと思っている。ハイエンドを求めるからこそデジタルという選択肢も当たり前だ。

これに対してスチルからムービーではなく、スチルの感性を活かしてムービーを作れば新たな表現が加わると思うし、EOS 5Dのようにフルサイズのボケを活かした絵作りは新鮮だ。

今、ムービーで仕事の幅は広がる、これはYESだし、取り組みたいとも思う。ただ諸手をあげて一眼デジカメでムービーが答えだとは思わない。

制作の全行程を知るものにとって根本的なものが欠けている一眼デジカメでムービーを作る気にならないのだ。

なにがと言って、驚くのは、タイムコードの観念がないムービー素材をプロが扱うこと。これは制作工程全体を揺るがすことであり、またしてもお手軽さがプロの生きる道を奪うようなことになると感じるのだ。

デジタル化で誰もがカメラマンになった。これは素晴らしいことで、ある面からすればクォリティーアップだとも思っている。たとえば通販でわかりやすい写真が欲しいと思ったときにカメラマンの知識より、当然その商品を売っている人のほうが商品知識を持っている。であれば、写真という技術をカメラがカバーしてくれて、より商品知識に基づいた写真が撮られるのであれば、写真のプロの出る幕はない。真のクォリティーアップだろう。

だが、印刷の特性であったり、正しいカラーマネージメントまで言い出せばプロの必要性はあるのだ。これと同じようにムービーでも外せない一線があると思っている。

それは編集という作業まで含めたタイムコードに基づいた作業だ。
ムービーの撮影、ライブであとから合わせるのであれば、絶対時間で進むフリーランによるタイムコードを付加するし、こまかに作り込むものを作るのであれば、レックランでタイムコードで撮影を始める。

ごくごく当たり前のこと。それがムービーのワークフローだし、スタートの構想、絵コンテでもある。

しかし、一眼デジカメのムービーにはタイムコードという観念がない。まるで、編集という行程に流すことを考慮していない運動会ムービー用だ。

フルHDもいいが、せめてフリーラン、レックランのタイムコードをサポートするべきだろう。しばし、私はスチルで一瞬を切り取る作業に専念しよう。

まだまだ中途半端だし、無理にできるからやるではなく、制作全体としてメリットが大きいとわかるまでは。

日曜日, 11月 29, 2009

昭和84年_No.9 No.10



写真とは、真実を写す物であり、嘘を作る物。
思いを切り取ることで意図した方向に見る者の意識を持っていく。

昭和84年、なんて、嘘をいかに作り込むのか、この経済状況で、この社会環境で、
浮かれるなんて難しい。
ましてや、妖艶なんてさらさら作り物、

でも、意識はもっと優雅にいたいと思うし、もっと明確に作り込んでやりたいと思う。


シャッター押す瞬間で完結させたい。あとから処理をするなんてもう写真ではない。だからライトだけで語る写真をつくりたいんだ。ストレートに、さらにストレートに。

月曜日, 11月 23, 2009

スーパーオーソドックス





レタッチ前提で、いろいろな技を駆使して、確かに印象的な物を作ろうと思うとアイデアも技術も集めなければできない。それは事実であり、負けては意味がないことだ。
ただ、見ていてあさましいと思うのが最近の広告、印象が強ければいい、低予算でインパクトを、まあ、以前からなかったわけではないし、ゲリラとしては正しい攻め方だと思う。

でも、大手の企業までがそれで良いのだろうか、ちゃんと企業イメージを正しく持ち、正攻法で攻める広告も意義があると思う。

今初心に戻ってストレートで清潔感のある作りをしてみたい。まだ印象が弱く、平凡なだけになっているけど、作り続けて、心に残るものが作りたいものだ。

日曜日, 11月 22, 2009

10年の歳月



今では何の苦労もなくデータが印刷にかかる時代、
(実際は安定した色を再現するにはノウハウだと思いますが)

すべてのデータをDNGに変換して、キーワードを追加して、多くの作品をみればみるほど継続性のなさに悲しくなるばかりです。

でもすっきりとしていないといけないという思いだけは同じようです。

日曜日, 11月 15, 2009

世界観と継続性



こと継続性という点では弱いことを自覚している。なにしろ変幻自在、オーダーがあれば何でも撮りますというスタンス。

これまでのスタンス、もちろん時計に代表される光り物を手早く、正確に撮影するのは数もこなしたし、得意なジャンル。そして、モデル使うにしても、メインは服であり、アクセサリーが中心、中には物のサイズを表現するだけにモデルを使う写真も多く撮ってきた。

となると、何でもオーダーに応じて撮らなければならない為に変幻自在になってしまう。

で、自分らしさ、オリジナリティーは何か、
たぶん作り込まないストレートな表現だと思っている。リアルに、最大限リアルに、

レタッチをする前提ではなく、撮影時にすべてこなしておく、撮るときに完成型にしておく、これが今の私の作り方。別にしわだって、くすみだって、あとから修正することはできる。広告であれば最大限の手間をかけて綺麗に仕上げるものだろう。

しかし

作品は違う、綺麗よりもリアリティー、昭和のリアリティー